石橋宿から小山宿

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                          H.26113日(月)

                              晴れ 気温 201
                          
                          
自治医大駅から小山駅 



今回は 自治医大駅から小山駅まで歩きました。

西北西の風4mと少し強かったですが、気温は20と歩きやすい日でした。
         自治医大駅から小山駅まで

      3時間30分  16,562歩  10,6Kmの行程でした
地図写真はクリックすると大きくなります。

10時10分 前回の続きで自治医大駅からスタートします。

   

男体山を右手に見ながら国道4号を歩きます。

   

  



小金井宿(こがねいしゅく、こがねいじゅく)
 江戸時代に日光街道(日光道中)および奥州街道(奥州道中)に設けられた下野国の宿場。
現在の栃木県下野市小金井に相当する。
日光街道の江戸・日本橋から数えて14番目の宿場である。


金井神社
願いを叶え黄金湧く郷土開拓の祖神

当社は、国土開拓の祖神である磐裂命、根裂命をお祀りする。
往古は金井村字余又の地にあったが、宝暦4年(1754年)に現在地に遷座し、小金井宿本陣隣りの鎮守として発展した。
社名の金井には、黄金の湧き出づる井戸の意があり、また願いが叶うに通ずる縁起の良さがある。
元旦午前零時の初詣、7月の神輿渡御、子供相撲、11月の七五三詣などで賑わう。
華麗な彫刻で飾られた御本殿は下野市の文化財に指定されている。

http://kir579053.kir.jp/jinjyacyo/?p=765


 

慈眼寺

真言宗智山派の寺院。正式には「金剛乗院多宝山慈眼寺」という。 
江戸時代の日光社参では、境内に将軍の休息所・昼休所が設けられる。
日光街道が完備し、特に、日光に徳川家康公の御霊廟が出来てから、
日光社参の将軍家は、當寺を昼食所として定められた。
それによって、将軍家と當寺は、深い関係を持つに至った。

http://www.zigenji.com/category/history


 



10時45分 旧道へ (右地図参照)
 




10時50分

一里塚:小金井一里塚は、江戸時代の五街道のひとつである日光街道沿いにつくられ、江戸(東京)日本橋から22里(約88キロメートル)の地点にあります。
二つの塚がほぼ完存していることなどから、日光道中で唯一国指定史跡に指定されています。
長年風雨にさらされたため、形が崩れて円形化していますが、現状で1辺約12mの大きさで、つくられた当時は方形であったことが、測量調査でわかりました。

http://www.city.shimotsuke.lg.jp/hp/page000002500/hpg000002437.htm


 

 

小金井駅を左に見て旧街道歩きます。

 

11時10分 国道4号へ (右地図参照)

 



新田宿(しんでんじゅく)
 江戸時代に日光街道(日光道中)に設けられた下野国の宿場。
別称は芋柄新田(いもがらしんでん)、大町新田(おおまちしんでん)。
現在は栃木県小山市羽川に相当する。
日光街道の江戸・日本橋から数えて13番目の宿場で、日光街道の宿場ではもっとも小さな宿場でした。
江戸時代、このあたりは田畑が広がり、日光山や赤城山・大平山が見渡せたようです。
今その風景は望めませんが、本陣を努めたといわれる青木家の木の門などが往事の面影をとどめています。 

天保14年(1843)の『日光道中宿村大概帳』によれば、本陣1軒、脇本陣1軒設けられ、旅籠11軒(大2、中4、小5)あった。宿内の家数は59軒、人口は244人であった。




また当時の本陣や旅籠の屋号を書いた掛札がかけてあります。

 

クリックで大きくなります。
        ↓


11時35分 旧道へ (右地図参照) <歩行者専用道路> 

 


11時40分  国道4号へ (右地図参照)

橿原神社(かしはらじんじゃ)由緒
 
往古、この地の氏神さまは「星宮神社」であった。
明治5年、敬神の念篤き氏子等が集い、九州は宮崎神宮より御神霊を勧請し、
「橿原神社」と名を改め創建されたのが当社である。



 




12時05分 旧道へ (右地図参照) 

 








新幹線高架下を歩きます。


 





昼なお暗そうだった細い道の右側に「喜沢一里塚跡」がありました。
 



 


















12時40分  県道265号へ (右地図参照)

 


七五三のお参りに行く途中のかわいい子に元気をもらいもうすぐ小山宿です。

 



13時0分 小山宿

小山宿は「五街道追分の地」とも呼ばれ、日光街道(日光道中)、壬生通り、結城道、佐野道、栃木道が交差する交通の要所であった。



 


13時40分 小山駅到着

 

   


    

自治医大駅前からR4号へ左折






























































R4号から旧道へ右折 後 
最初の交差点を左折















































































小山駅(9時49分発)から自治医大駅(10時3分着)までJR宇都宮線で240円

YouTube








前回、不動前から自治医大まででしたので

今回は石橋宿(自治医大駅)から小山宿(小山駅))までです。

小山駅から「宇都宮線」自治医大駅まで列車の切り離しがありおよそ15分でした。

今回歩いたおよそ10Kmはほとんどが国道4号線でしたが、

旧道へ入っても、奥行の広いお屋敷が多く見られました。

新田宿(羽川地区)では「本陣や旅籠の屋号の掛札」があり、

また橿原神宮付近には「おはやし後継者育成指定地区」の看板もありました。

郷土を大切にし、伝統を伝えようとしているのが分かります。

那珂湊にも古くから伝わる「天満宮御祭禮(八朔祭)」のお囃子があります。

また「屋号の掛札」などは街の活性化になるのではないでしょうか。

那珂湊も活気あふれる素敵な街になるよう頑張りましょう。



                  まーねーちゃんのひとり言

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